知能指数の「境い目」である境界知能とは何か

境界知能とは、端的には「知能指数(=IQ)において、「平均的」とされる部分と、「障害」とされる部分の「境い目」にあたるところ」であり、数値的な定義は「IQ71以上85未満」となっています。

現在、IQとは「100を平均とする標準偏差15で求められる正規分布」であり、以下のような分布になります。

グラフ, 棒グラフ

自動的に生成された説明

この中で、IQが「71以上85未満」は約14%、日本国内では1700万人程度存在します。

そして境界知能が近年問題になっているのは、今まで「普通の人」として扱われていて障害者ではないとされていた人たちも、「生きづらさ」を抱えざるを得ないという実態が徐々に明らかになって来たからです。

IQが70以下の「知的障害」に分類される方々には、どの国も保障がなされていることが多いです。障碍者手帳の発行や、専用の施設、対応のプログラムを用意していることが多いでしょう。一方で、境界知能に関しては「自活できる」とこれまで認識されており、実際にそれは誤りではないのですが、彼ら彼女らの中で、生きづらさを抱えている人が一定数いるのは間違いありません。

一方、境界知能の持ち主の中でも社会的に成功を収めている(あるいは、満足のいく生活を送れている)人もいるにはいる、というのが保障や扱いの難しいところです。例えば、プロスポーツ選手の中には境界知能、とされている人ももしかするといるかもしれません。でもその人が、スポーツ選手として成功して巨万の富を得ているとしましょう。果たして、この方になんらかの補償をすることを世間は認めるでしょうか? あるいは、本人がそれを求めないかもしれません。世界は、まだそのようなレッテルを張られることに全員が「是」であるとは言えないからです。

また、ある種の補償をする際には「ライン」引かなくてはならず、それがIQ70が妥当なのか、IQ85が妥当なのか、はたまたIQ100なのか、という正解について、誰もが納得できる答えを用意するのは難しいでしょう。現状「IQ70」が一つのラインとして成立しているのは奇跡に近い状態かもしれません。少なくとも、数百年前なら見向きもされなかったでしょうから。

とはいえ、境界知能の方の中には自覚的に「生きづらさ」を感じている人も多いです。例えば、同じように勉強しているのに学力が上がらなかったり、あるいは同じような指導を受けているのに仕事が上手くできなかったり、はたまた頭の回転が遅く他社とのコミュニケーションがうまくいかなかったり……知能指数が低いと、そうした事態が発生することは容易に考えられます。

そして、境界知能の方に正しく指導したり学習機会を提供することは、現状成しえているとは言えません。なぜなら、彼ら彼女らが「境界」の知能の持ち主だから。例えば学校一つにとっても、知的障碍者の学級に入れるとそこでは「優秀」であるとされ、一方で健常者の学級に入るとそこでは「明らかな劣等生」と見做されます。そして、当人にとっては、どちらも居心地が悪いでしょう。

境界知能の持ち主は、IQテスト(知能検査)の結果だけでは知的障害とも発達障害とも診断できません。なので、周囲も当人もその状況に気が付かないことが往々にしてあります。そのため前述の通り、教育や福祉で支援することが「発見」できないため難しく、また「発見」したとしても保障が十分に用意されているとは言えないところに、問題の大きな根幹が存在します。

【参考】

1. 「なぜ何もかもうまくいかない? わたしは「境界知能」でした」(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210730/k10013164861000.html)
2. 「若者の抱える問題(コンプレックスニーズを持つ若者の理解のために)」(https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/h19-2/html/3_2_8.html)