IQが高い天才児も、大人と比較すると大したことはない

「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」ということわざがあります。子供のころ、「末は博士は大臣か」ともてはやされた神童(?)が、気づけば大して賢くもない大学に行き、聞いたことのない企業(あるいは、大手の関連会社)に就職しているようなことはよくあります。そういった風に評された子供は、「早熟」であっただけなのでしょう。IQ200の天才児! ともてはやされても実際はそこそこにとどまる、ということは珍しくありません。

なぜそんなことが起きるのでしょうか。IQ200と言えば、超天才もいいところ。人類史上最も賢いと言っても過言ではありません。

実は、IQ測定のカラクリにその原因があります。そもそもIQを測定する意味に立ち返ると、同年代からどれほど乖離が(特に低い方に)あるかということを測定するためのものです。そこでもし低い値が出れば、それに適した教育を施さなければなりません。その事前検査的な役割がIQテストに課せられた本来の使命です。

ここで重要なのは、「同年代」からどれほどの乖離があるか、ということです。例えば、10歳で言語が著しく不明瞭なら、それは言語性IQになんらかの疾患を抱えている可能性が高いです。一方で、生後3日で「この赤ちゃん、全然喋れないの!」と言われても、「そりゃあそうですよ。全く問題ありません」と返すより他ありません。生後1年でも同様でしょう。生後1年では単語を喋れる幼児がちらほら出てきますが、そこでほとんど喋れなかったとしても、少し平均より低いだけです。

そして、ここで重要なのは「生後1年でばりばりに喋れる」赤ちゃんが出現した場合です。その喋り具合と言えば、「高校入試の面接なら十分に突破可能」という程度だとします。驚異的ですね。この場合のIQは、おそらく200では利かないでしょう。なぜなら、IQは同年代との比較で算出される場合が多いですから。

しかし、成人と較べるとその言語能力は明らかに普通。もっと言えば、高校入試レベルですので平均よりも低いと言えるかもしれません。しかし、その子のIQの測定値は200になってしまいます。なぜなら、同年代の比較なので。

なので、子どもの頃のIQを過信して多大な期待を持つのはやめましょう。子供の成長速度には大きな差がありますが、最終的な結果に大きな差はありません。

「なぜ子供も大人と同じ尺度で評価しないんだ!」と憤る人もいるかもしれません。しかし、その考え方はIQテストの意義を曲解しています。IQテストの意義は、前述の通りその知能発達の速度を見ることにあります。その「知能の高さ」を見ることに、大した意義はないのです。もちろん、ギフテッドと呼ばれる子供を選抜する必要がある場面もあるかもしれませんが、それはあくまで副次的なもの。IQではある程度までしか評価できないため、別の選抜方法を考えた方が良いでしょう。例えば、IQテストは円周率を何万桁も暗礁出来る子供を評価できるようには設計していません。100桁も、10000桁も同じような点数になります。

グラフ, 折れ線グラフ

自動的に生成された説明
「Transformations in the Couplings Among Intellectual Abilities and Constituent Cognitive Processes Across the Life Span」
(http://bernhard-hommel.eu/LifespanTrans.pdf)

上のグラフは、「Transformations in the Couplings Among Intellectual Abilities and Constituent Cognitive Processes Across the Life Span」という研究によって得られた、年齢に応じた知能のプロットです。縦軸はIQのようなもので、高い方が優秀くらいに捉えてください。測定開始の8歳ごろと、ピークの20歳ごろでは全くスコアが違うことが分かります。このことからも、違う年齢同氏でIQを比較しても大して意味がないことが分かりまし、「子供の天才」は大したことない、ということも分かると思います。