なぜとんでもないIQの数値が世の中に広まってしまうのか?

世の中には、IQ200の人がそれなりにいると思い込んでいると思っています。おそらく、「国内に何人かはいるよね」と思っている人が大半かと思われます。

実は、定義によりますが現在医学的に妥当性の高い「WAIS」系統のテストで用いられる「標準偏差15」では、IQ200以上の出現率は「0.0000000016%」。つまり、1100億人を数える人類通算で2人、現生人類に至っては0人です。

でもこれが標準偏差が変わるとその数値が変わってしまいます。例えば、標準偏差24(キャッテル式という算出方法で使われる値)で算出すると、人類通算で184万人、現生人類で13万人ということになります。これは標準偏差15の場合のIQ163程度ですので、このように全く数値が異なってしまうわけです。なお、標準偏差というのは簡単に言えば「正規分布(山型のグラフ)について、標準偏差が大きければ大きいほど山がなだらかになる(=中央付近に属する数が小さくなり、すそ野に属する数が大きくなる)」数値です。

グラフ, 棒グラフ

自動的に生成された説明

(標準偏差15で作成された正規分布)

なぜ異なる数値が使われてしまうのでしょうか? それは「見栄えがいいから」、もっと言えば「その方がマスコミ(あるいはメディア)的に都合がよいから」という結論に帰結してしまいます。例えば、天才の取材をするとします。その際に、「IQ163」と画面に映すのと、「IQ200」と示すのはどちらが見栄えがよいでしょうか? 当然、後者の「IQ200」です。そしてその際には、「なお、キャッテル式測定で標準偏差24とした場合です」などという間抜けな注釈はつけないし、また視聴者もそれを見はしないでしょう。キャッテル式意外にも、科学的な担保がないハイレンジIQ測定法などが跋扈しており、例えば過去の偉人などのIQはそれを利用して判断されることが多いです。全てが間違っているとは言えませんが、流石にIQ300というのは、やりすぎと言わざるを得ないでしょう。なお、現在主流のWAISでは成人のIQは155程度までしか測定できず、それよりもIQが高そうな人は「IQ156以上」ということになります。学校の試験で100点以上が出ないのと同じですね。小学一年生の問題を並みの小学一年生が100点を取るのと、同じテストで六年生が100点をとったことの意味が異なるのと同様です。

一方で、時折「子どものIQが200」という数値が算出されてしまうことがあります。これも上記のように無理解な標準偏差で計算された結果であることが多いですが、別の要因が混じっていることがあります。子どもは大人よりも知能のバラツキが大きいためです。例えば、2歳時点で言語を比較的流暢に操れる子どもがいれば、それはIQがかなり高く測定されるでしょう。標準からどれほど外れているかという指標がIQテストで用いられるので、測定によっては突出した値が成人よりは出やすいのです。

また、以前は「比率IQ」といっては精神年齢(mental age)÷実年齢(chronological age)×100で計算された結果が子供のIQ算出に用いられていました。これは簡単に言えば、「その年齢の人が一般的に出す結果を出せば、精神年齢と実年齢が一致し、IQ100」となるものです。なので、上記同様に2歳児で4歳並みに知能があるとかなり高い結果になります。でも、そういう子供はたくさんいますよね? しかし大体は、大人になれば「ただの人」となります。