日本で「有名なギフテッド」と思われている人の大体は誤りかもしれない

ギフテッド、という言葉が日本でも流行してきました。元々は諸外国で導入された概念ですが、その定義は極めてあいまいです。アメリカ教育省は、「ギフテッドとは、同世代の子供と比較して、並外れた成果を出せる程、突出した知性と精神性を兼ね備えた子供のことである」と1993年に定義していますが、これも一種の参考程度にしかなりません。IQをはじめとする数値的な基準もないわけではありませんが、あくまで一つの参考資料です。巷で「IQ130以上はギフテッド」と言いますが、それは1960年代の指標であり、目下絶対的な基準として議論されることはまずありません。ちなみに、IQ130というのはMENSA入会の基準でもありますが、MENSA会員の全てがギフテッドというと全くそんなことはありません。

さて、有名人は洋の東西を問わず過剰に担ぎ上げられることが多いですが、ギフテッドに関しても例外ではありません。インターネットサイトを見てみると、論拠が全く分からないまま「ギフテッド」とされている人がちらほらいますので、以下にその例としばしば「論拠」として挙げられるものを記載してみましょう。

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まず所ジョージが、「ギフテッド」と見做されることが多い例として挙げられます。その論拠は全く怪しく、しいて言えば「コメディアンや司会者、シンガーソングライター、声優などとして多岐にわたる分野で才能を発揮しています」ということと、「IQは138あるとされています」ということ。また補足する情報として、インドアとアウトドアの両方の趣味があることから「枠にとらわれることなく自由な生き方をしてきた様子」が挙げられています。所ジョージは大変優れた人物であり、芸能界で成功していることは否定しませんが、それだけで「ギフテッド」と認定することは難しいでしょう。ギフテッドとは、何かしらの医学的論拠に基づき判断されることがほとんどであり、決して否定はできないものの「確実にギフテッド」ということは言えません。

北野武もギフテッドとしてもてはやされますが、これも全く根拠がありません。論拠は「しっかり勉強をさせた」結果「明治大学工学部」に合格したとか、「人気者」だからなどです。コメディアンとして成功し、また映画監督としても「世界のキタノ」であることは否定しませんが、ギフテッドとは到底断定できないでしょう。

元サッカー選手の中田英寿もギフテッドとして挙げられますが、これはギフテッドではなく芸術などに優れた「タレンテッド」に該当するでしょう。流暢にイタリア語を披露することなどがエピソードとしてよく挙げられますが、イタリア語学部に行けばそんな人間はたくさん見つかります。

ひどいのは松本人志に関する情報。彼が天才であることは全く否定しませんし、お笑い界に残した功績と現時点での人を笑わせる能力については随一のものがあります。しかし、「他人と異なる視点や世界観」を持っているからギフテッド、という論拠にはいささか閉口してしまいます。なお、IQが118と言われています(実際に測定したかは、それが正しいかは極めて疑わしいですが)が、もしそれが本当なら流石にギフテッドとしては低すぎるのではないかと考えられます。前述の通りIQが唯一絶対の判断指標になることはめったにありませんが、判断基準の一つとして採用されることは珍しくなく、もしその土俵にIQ118の人間が立つとすれば、かなり不利になることは間違いありません。

上記を含めて、以下の数人が「ギフテッド」としてインターネット上で認識されています。

  • 所ジョージ
  • 北野武
  • 岩崎ひろみ
  • マシ・オカ
  • 中田英寿
  • 松本人志

このうち、マシ・オカはギフテッド専用のスクールを卒業するなど論拠はありますが、他は全て眉唾ものです。岩崎ひろみも高いIQを持っているようですが、それだけで「ギフテッド」と断定は絶対できません。

繰り返しになりますが、ギフテッドの判定は極めて難しく、また確固たる「これができたらギフテッド」という判断基準は現在のところなく、近い将来に確立される予定も全くありません。それがないのにも関わらず、「業績が素晴らしいからギフテッドだっただろう」「IQが高いからギフテッドだっただろう」というのは、全く論拠の無いことです。こうした誤解がギフテッドに対する誤解を生み、正しい情報を得ることの妨げになる状況は、嘆かわしいと言わざるを得ないでしょう。