「IQが高い」だけではギフテッドとは言えない

ギフテッド、という言葉を最近よく聞きます。しかし、その真意が広く膾炙されているとはとても言えません。よく「IQが高い人」「とにかく賢い人」などと理解されることが多いですが、その理解は全く正確ではありません。

まず、定義について。実のところ、「このような基準に達しているからギフテッド」という統一された定義は今のところありませんし、おそらく将来的もそれが成立することはないでしょう。なぜなら、一度そうした基準を設けてしまうとそうした「基準に外れて」並外れた才能を持った子供をギフテッドとして評価できなくなり、それはギフテッドを定義する目的からは大きく外れてしまうからです。言うまでもありませんが、ギフテッドを探す目的は、そのギフテッドに最適な教育を施すことにあります。しかし、それが恣意的な選択になってはいけません。なぜなら、もし完全に恣意的な選択が可能になってしまうと、「金を積んで」我が子にギフテッド教育を施したい親は、当然金銭含むなんらかの圧力をかけることになります。そしてそれは、(政府として教育にかけられるリソースが限定的なため)本当のギフテッドの教育機会損失を引き起こします。そしてそれのみならず、ギフテッドではないのにギフテッド的な教育を施される子供にもかなりの負荷を強いるでしょう。場合によっては、劣等感などで致命的なダメージを謳歌もしれません。

なので、ギフテッドを一定の数値などの基準でもって評価することもありますが、その場合は例外の枠を作るべきでしょう。

さて、その「一定の数値」ならIQなどで処理できると考えている人が多いと思います。実際、ギフテッドの選定にはIQテストが役立つこともあります。医師によっては、現在もIQ検査とEQ検査を併用してその判断を下す場合もあります。しかし、その場合もギフテッドの作成した成果物や面談など、定性的な要素も加味します。IQというのはあくまで一つの要素でしかないのです。

もちろん、過去にIQテストがその判断に偏重されたこともあります。20世紀にはしばしばIQテストを使ってギフテッドを診断していたとされます。1960年代以前は、例えばIQ130(標準偏差15)をギフテッドの基準にしていたこともあります。

しかし、近年ではIQテストでギフテッドを判断することの妥当性への疑義や限界については広く理解されています。実際、ギフテッド教育が先進的なアメリカではIQはもはや重要な指標として見なされていないようです。

テキスト

自動的に生成された説明
(Who Is Currently Identified as Gifted in the United States?より)

上記はアメリカ48州(2州は定義がありません)がギフテッドを選別する際の基準です。丁度16/48と約1/3の州しか、その選抜の指標にIQを利用していません。このことからも、IQが高いからギフテッド(あるいは、ギフテッドはIQが高い)と一元的に評価することが誤りであることが分かります。

そのため、現在も定義については議論が交わされている最中でありますが、便宜的に各機関は緩やかな定義を設けています。例えばアメリカ教育省は、「ギフテッドとは、同世代の子供と比較して、並外れた成果を出せる程、突出した知性と精神性を兼ね備えた子供のことである」と1993年に定義しています。定義が行われる理由は、そうしないと判断の指針すら得られないためです。

なので、各機関はその定義を日々改善(変更)しています。2002年から2012年にかけて、アメリカの24州が定義を変更・修正していることからも、その難しさと進歩が伺い知れます。なので、繰り返しになりますが素人考えで「IQが高いから……」とレッテル張りをするのは、無知をひけらかす以外の結果を生まないので、控えるのが無難でしょう。

【参考】

1. 「Who Is Currently Identified as Gifted in the United States?」(https://www.psychologytoday.com/us/blog/beautiful-minds/201201/who-is-currently-identified-gifted-in-the-united-states)