「IQが高い人」は定義上世の中に発生します。なぜなら、IQは一般に平均100として標準偏差15(あるいは16、24)で算出されるものだからです。要すれば、「みんな100点」というのはあり得なく、平均がある以上それよりも優れた得点の人とそうでない得点の人がいる、というあたり前の話です。なので、IQが優れている人とそうでない人は決定できます。
ですが、人間の優劣はどのように決定するべきなのでしょうか? その軸は無数にあります。例えば幼少期なら足が速いことが賞賛されたり、中学生や高校生なら「ちょっとツッパる」人が異性から良く思われたり、青年期なら良い大学に入学していたり、あるいは良い企業に入社していたりすることが重要で、そして中年期ならその持ちうる資産で相手を見下したりもしますが、老年期では健康が最も重要視されたりします。
このように、一人の人間をたどっていったとしても「重要」とされる軸は変わってきます。なので、優劣の議論は「何を軸とするか」ということで全く異なります。極端に言えば、中世の戦場ではIQの高さよりも逃げ足の速さの方が重要だったりします。演説をしている間に、頭を矢で射抜かれたらどうにもなりません。
「屁理屈をいうな。IQが高い人は賢く、そうした人には資産が集まる。今は資本主義の時代なので、資本を持っている人間が優れているに決まっているだろう」と思うかもしれません(資本主義の時代だから資本を……という論はさておき)。しかし、IQが高いからと言って沢山のお金(あるいは不動産等)を獲得できるとも限らないのです。
例えば「プロスポーツ選手」などは、IQの高さもさることながら身体能力などが高い方が稼げるでしょう。そしてトッププロは(IQが高くなかったとしても)大抵のIQを誇るサラリーマンよりも生涯収入は大きくなります。また、俗に「顔が良いだけ」とされる芸能人は、20代の一瞬で有名大卒の生涯年収を稼ぐことでしょう。
「じゃあせめて、IQが高い=賢いとは言えるのではないか」と土俵を狭めた議論を持ちかけるかもしれませんが、これも素直にYESとは言えません。
先行する研究では、既にIQテストの限界が示されています。トロント大学の心理学者、Keith Stanovich氏によれば、IQテストでは論理力や抽象推論力、学習能力、一時記憶能力などといったある特定の精神機能を測定するには極めて有効だが、そうした機能をどこに振り向けるかという理性的判断力を測ることはできないとのこと。また、ハーヴァード大学大学院のDavid Perkins氏曰く、「私たちの精神はサーチライトのようなものだ。IQはサーチライトの明るさを測定する。しかし問題は、サーチライトでどこを照らすかということなのだ」という表現で上記の研究結果を指示しています。
つまりは、IQの高さは賢さにも結びつかないのです。もちろん、年収との相関を大規模データでとれば、そこには比例した結果が得られるでしょう。しかし、それはIQの高低と直接的に結びつくものではなく、別の変数が当然介在します。
要すれば、IQテストで求められるのはIQでしかなく、そしてIQの高さの意味するところはIQの高さそれ本来でしかなく、それによりそれ以外の優劣が決定されることはありません。なので、IQの高さで何かを評価したい人は、その評価軸をIQに限定するべきです。その場合は、あなたのIQの高さについて周囲は賞賛してくれるでしょう。もっとも、その後に展開される「ゴルフのスコア」や「健康の話」などと同列に語られることをあなたがよしとするならば、の話ですが。
最後に、Stephen Hawking(ホーキング博士)の格言を紹介して終わりましょう。
“People who boast about their I.Q. are losers.”
訳すと、「自分のIQを自慢する人たちは負け犬だよ」となります。
(2004年の「The New York Times」誌でのインタビューより)
【参考】
1. 「Clever fools: Why a high IQ doesn’t mean you’re smart」
(https://www.newscientist.com/article/mg20427321-000-clever-fools-why-a-high-iq-doesnt-mean-youre-smart/?ignored=irrelevant)