IQが高いにも関わらず「生きづらい」と感じる人は一定数存在する

IQが高い人には、羨ましい生活を送っている人が多いです。子供時代はその(努力して手に入れたわけではない)元来の知能により、神童と呼ばれます。中学校あるいは高校でも、少し勉強しただけで高い成績を取れます。成績が良いとゲーム感覚で勉強をして、そして偏差値の高い大学に合格します。大学でも特に苦労をせず単位を取り、一流企業に入社します。そして……というようなエリートな生活を、特に挫折も努力もなく送れます。もちろんIQが高い当人たちに聞けば「いやいや、IQが高い人にも苦労はあってだね……」という、一般人から見れば苦労とも思えないような苦労が口から出てくるでしょう。あるいは、その苦労とは「一定の能力を持った人しか味わえない苦労or挫折」だったりします。例えば、普通に勉強しても学部の首席がとれなかった、など。そんなことは挫折ではない!

一方で、そのような恩恵に預かれなかった人も中にはいます。要すれば、IQが高いにも関わらず羨ましいとは思えない生活をしている人ですね。一体どういう原因でそのような事態に陥ってしまうのでしょうか。これは理由を明確にいくつか挙げることができます。

1. 本人の勘違いパターン

まずはこれを疑いましょう。上にも記載しましたが、「生きづらい」と言っている理由が「回りが頭悪くて話が合わない」とか「(自分よりも賢い)エリートに囲まれてみじめになる」などでしたら、これに相当します。

2. 周囲の無理解or疎外

これはかなり多い状況です。日本ではギフテッドと呼ばれる才覚に優れた子供を、専門の教育が出来る人材が適切に指導する体制が整っていません(スポーツの才覚を除く)。そうした中で、例えばIQ150の子供をIQが100の小学校教員が指導するとなると、どうしても手に余ります。その結果、教員はその生徒に合わない教育を施したり、ひどいケースになると無視したりもします。

あるいは、友人同士の関係でも頭が「良すぎる」子供は疎まれます。人は残酷なもので、肌の色でも思想でも信条でも、どんな理由であっても集団の多数派と違う特色を持つ存在を忌避します。

3. 高い期待値を越えられない

これは、「中途半端に高いIQ」の持ち主に多いです。例えば、IQが90前後の人が集うある地方(田舎)の集団でIQが120だった場合、それは「とてつもない天才」であるともてはやされます。そうすると村一番の秀才と言われて、東京の大学に進学します。しかし、そこではIQ120程度の存在などゴロゴロいて、とてもではないけれど120程度ではIQの高さを武器に勝負することは出来ません。そして就職は、業界二番手三番手にかろうじて引っ掛かる。しかし故郷ではなぜ業界一番手に行けないのかを疑問に思う。そう、故郷では「村一番の天才は誰もが知っている会社に入り、そこでずんずん出世する」と思い込んでいるからです。しかし現実は違います。村で一番でも、どうにもならないのです。

これは、1の「本人の勘違いパターン」ではなく、本人がどうしようもない領域ですので、IQが高い人の辛さと言ってもいいでしょう。

4. 別の障害が原因

実はこのパターンはかなり多いです。そして、これは3の「高い期待値を越えられない」と併発します。一般には、IQが高い人は「頭を使う作業ならなんでもできる」という幻想を抱きますが、それは全く間違っています。IQが高い人の中でも、コミュニケーションが苦手な人がいたり、記憶力がそこまで優れていない人がいたり、論理的思考力に欠ける人もいます。そういう各要素を踏まえたものがIQですが、「IQ130」と聞くとその全ての要素が高い人であると勘違いしてしまいます。それは大いに間違えているのです。

実際、高いIQの持ち主の中には発達障害はアスペルガー障害、ADHDなどの特性を持つ人もいます。IQが高い人は「そういう障害」(あるいは傾向)には無縁のものと思われることが多いですが、そんなことはありません。IQが高い人にスポーツが苦手な人がいるように、IQが高い人にも知能の上で弱点があることがあります。

しかし気を付けなくてはならないのは、これは「IQが高いが故の生きづらさ」ではなく、別の要因に起因するということです。メディアなどでよく取り上げられるものでは、ここをごった煮にして「IQ130台の天才が抱く生きづらさ」などと紹介されることもあります。