現在、日本はギフテッド後進国です。この「ギフテッド後進国」という意味は、ギフテッドに適した教育を受けさせる土壌にない、という意味です。海外にはそういったギフテッド専門の学校教育が制度としても堂々と存在しますが、日本ではそのような教育機会はほとんど存在しないのが現状です(草の根的な活動はありますが、どの規模においても政府が本腰を入れて実施している、ということは全くありません)。
そのため、ギフテッドは不遇の子供時代を送ることになります。前提として、ギフテッドというのは「ちょっと賢い」というレベルを大幅に越えることを指すので、「学校のテストで毎回満点」だとか、「小学四年生で六年生レベルの問題を解ける」とか、そういった低い次元の話をしているわけでは決してありません。
そもそもギフテッドとは、定義は難しいですが「同年代の子供より圧倒的に知能の高い」子供という意味でとらえれば、当たらずとも遠からじといったところでしょう。そういった子供が、例えば小学校の通常学級に放り込まれるとどうなるか、想像は容易いです。
そうした子供は、教育課程でほぼ想定されていません。「そこそこの」大学を出た程度の、経験も少ない教師がそれに柔軟に対応できるかと言うと、ほぼ不可能と言ってよいでしょう。そもそも、30人学級で知能もバックボーンもバラバラの生徒を一人で全教科管理する、という体制にも若干の問題があり、そこで中心となってケアしなければならないのは、レベルの低い生徒です。なので、必然的にレベルの高い生徒は後回しになります。
ちょっと賢い程度(例えば、将来東大に合格するくらい)の生徒ならよいでしょう。彼ら彼女らは塾の宿題をやって授業をテキトーにやり過ごしたりします。もちろん、塾に行くという発想が全くない地域もありますので、そうした場合そのレベルの子どもでも同じく退屈を味わうことに関しては不遇の子供時代を送ることになります。
しかし、ギフテッドの生徒は並みはずれた思考力と知識欲を持つため、上記のような退屈に加えて、先生に「なぜ?」と聞いたり、あるいは若干「マセた」ような動きを授業中に行う可能性があります。そうすると、先生は叱る、あるいはそれに準ずる指導しかできないわけです。なぜなら、その子供に構っているヒマがないから、ということと、その児童の知識と思考力が先生を上回っているため、対処できないからです。
そうした先生からの扱いを、他の児童は敏感に感じます。特に田舎に多いのですが、そうした「浮いた」生徒はのけ者にされます。
実際、NHKのギフテッドに対するインタビューでもそのような結果が出ています。
- ひらがなの勉強をしている時、すぐ終わって提出にいくと、先生が不機嫌になりとても怖かった
- 習っていない漢字を書いたら「他の児童に悪影響」と言われ、書き直させられた
- かけっこが得意な人は「速く走っちゃだめ」と言われないのに、勉強はなぜ横並びにしないといけないのか
上記は所謂先生の対応の典型例です。
しかし、先生を責めることは出来ません。そんなことは教育課程では習わないのです。習わないことを実施することは少なくとも経験が浅いうちは難しく、また自分よりも賢い人間に物事を教えるのも1対1ならいざ知らず、数十人を相手にする中で特別扱いするのは面倒です。しかも、賢い子供を放置してもクレームはあまり来ませんが、劣った子供を放置するとクレームが飛んできます。良くも悪くも日本は全体主義なので、全体から劣った子供に救いの手を伸ばさないことが最も害悪と誹られるためです。
なお、私立のレベルの高い中学校や高校に行けばある程度は解消されます。というのも、少なくない割合で(それでも、学年に何人というレベルですが)レベルの高い学校にはギフテッドが集います。先生もその対応に慣れており、また先生も手に負えないと自覚すれば速やかに「特別に」救いの手を伸ばします。例えば、数学でもう大学受験領域まで手を付けることなくなったとしても、数学オリンピックに挑戦させたりもするでしょう。しかし、公立の中学校ではそうはいきません。もしかしたら、数学オリンピックの存在すらその先生は知らないかもしれませんから。
【参考】
1. 「知られざる天才 “ギフテッド”の素顔 – NHK クローズアップ現代+」(https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4320/index.html)